昭和41年01月24日 朝の御理解



 勝てば官軍、負くれば賊軍と言う様な事を言いますね。私はいやと言う位この言葉が、ぴったりしとる事はないと思うですね。椛目の信心が本当のもんか、本当のもんでないか、とそら椛目の人達は知りません。大体金光様の御信心がどう言う様な物かと言う事すら、知ってないのです。だからもう椛目に御縁を頂いて、おかげを受けておる人達は、もう椛目がほんなもんと、こう思い込んどるです。
 ですからいわゆるその真の信心を目指してから、お互い信心さして頂いているので御座今すけれども、そのどんなにそれが真の信心だと言う、実証的なものが有りましてもです、結局矢張り負ければ賊軍です。おかげ頂き抜かなかったらです。矢張り間違とったじゃろになるんです。もう私しは今この言葉位、椛目に適切な言葉はないと、あたしは思う。やっぱりおかげを頂き抜かなきゃいかんです。
 御造営の事といい、私の本部学院入学の事といいです、それにはその内容としてですね、どうゆう信心を私は、只今さして頂き、身に付けて行ったら良いかと。銘々が、第一これは私しから言うなら、私し共の家族です。ああ、家族の者が、これだけの信心を分ってくれる。これだけ協力してくれる。これだけ銘々修行に精進しておると、と言う。これはまあ私しがこれで、学院なら学院に参りまして、その後でもです、どうであっても家族の者がこれだけの信心をしておってくれてるんだから。
 これだけの精進修行をさして居た台ているのであるから。あたくしは、安心だろうと、こう思うです。第一。次に、ここの総代幹部、椛目の中心と言われておられる皆さんの信心だと、私しは思う。もうこの人達に、椛目ばお願いしておけば、大丈夫とと言う事になる訳で御座いますけれども、そんなら、「先生、どうぞ、行ってらっしゃいませ。私し共が、後は引き受けました。」と、例え、幾ら言うて頂いてもです、皆さんの一人、一人の信心を例えば、私しがそげな信心(笑)幾ら言うて貰ってもです。
 そげな信心がなかったら私は安心は出来ません。これは義理人情でですね。そういう世界とは違いますから信心は。もう信心ばっかりはまあ頭から行くもんですから言葉だけじゃいかん言うとるだけじゃ詰らんそれじゃ安心がならん。又それじゃ勝ち抜かれんおかげにならん。唯「先生どうぞ行っておいでなさい」と「私共が後は」それは一時はそういう張り切った気持ちがいくらか支えになりましょうけれどもです。問題は銘々が信心を本当に頂いておらなければ人の足元ばぁかり見ておる様な信心じゃ詰らん。
 私しは夕べ、ある意味でがっかりした事があるんですけれそも、御月次祭が終わりまして、私し気分が悪いから、早くまあ休まして頂こうと、けど最後の、御祈念を終わるまで、やっぱそれでも、11時過ぎでしたかね。御祈念が。それであちらで、あすこに残っておりました方達に、お茶でもあげておりました時に、たまたま。あの風呂場の、御造営のところの風呂ですね。その風呂がどういう風呂がいいかと言う事が、古屋さんから話があっておったんです。
 古屋さんはこういう風呂がいいという、秋永先生、他の先生は、ああそんな風呂はいかんとこういう。もうそれがもう私しは、とうとう終いには、秋永先生炬燵に入って、炬燵の下からつくじってから、もう辞めなさいと、私しが申しましたんですけどもね。そらあ強引ですね。古屋さん達が言われる事も、私しは大体その場で、問題は親先生がよこごつたい。親先生がお伺いしてからと言やよかけれども、「いやいや」これが絶対よかち、所が亜他社古屋さんの言いなさったつは、ふるふる好かんとですたい。
 その風呂はけどもそら、古屋さん好きまっせんばいと、私がゆうたっちゃ片一方に、ひいきするごとあるから、いかんけれどもです。例えば、うんならこれがいいあれがいい。そりゃあ検討する事は、有難いけれどもです。そんなら少しそれにまあ色々検討してみましょうと、あたしゃこれがいいと思うけれども、あたしゃこれがいいと思うけれども、なら色々検討してまあ結論は親先生に出して頂きましょうと、言う様な事になれば、いっちょん問題がないのですけれどもね。
 横におってつくじらなければならない。信者同志がです。お互いの足元ばっかり見てから、お互いの非を言わば足のとりぐっちょの様な事をしとって、私しが安心して行ける筈がないじゃないですか。お互いの例えば、非があるならかばい合うて行くと言う位にお互いにそれを共有しおうて行くとか、励ましおうて行くとかとでなかったら、必ず御広前がです良い顔の、御信者がですね二つにも三つにも割れるでしょう。
 例えば、総代なら総代、たった十人位の総代の中にです、割れる様な事であったり、お互いの総代同志の足元を、そのつつきあう様な事でです、おかげの頂ける筈はありません。その総代が、いくら束になってから、先生どうぞ行ってらっしゃいと言うたっちゃ、私しゃ、行きゃしません。後が分っとる。第一、家族の者がです、総代幹部、ここの中心になる方々の信心がです。
 本当に、私しは教えを行じた日々、例えば私しは、ここに申しております。もう勝ち抜かなければ、勝って勝って、勝ち抜かなければ、折角の私しが信じておる、確信しておる椛目の信心が、金光教の信心は。もうこれは、これで行かなければダメだと。今後の御道の信心は、これが本当だと。私が信じ、確信しておる所をです、本当に、そうする事の為には、私共がどうでも、勝ち抜かんといかん。成程、椛目の大坪さんが言いよった信心は間違いでなかったと。あの信心こそ、本当なものだと。
 その証拠にゃ見てみ、ああしたおかげを受けておるではないかと、言う様なものがです、頂けてこそ始めて、椛目の信心を本当なものとして、いわゆる表して行く事が出来る。現状の椛目の方達が表していけるだろうか。もう私しそれが不安である。昨日、ほぼもう、お祭りが済んでからですね、ここで麻生さんがお届けをさして頂いて、先生結婚致しましてから、どの位なりますでしょうかね。
 四、五十日位になりますでしょうか。始めて夫婦喧嘩をしたち言うちから、本当に考えて見ますと、信心なら私しが、詰らん事に感情立てて、本当に危うく、もう本当にまあ、平手打ちの一つもせんならん様な所であったけれど。まあそこん所を、グット、こう信心で頂いてから、まあ事無しに済んだけれども、本当に相済まん事でしたと言う訳けなんです。昨日やっぱり、あの二人炬燵んでも、入ってから色々そのお話しをしよったそうです。所がこのたまたまその、奥さんのその化粧の化粧法の事に付いてから。
 そのお前や娘時代にゃあげな風な化粧しょったつが、あらあげな風にゃ、おら、あげな風なつは好かんとかなんとかいうて、その話したんです。それがその奥さんが、どう言う風にその、虫のおるどこが悪かったか、それをもう反発して来たんですね。もうそしてもうその、何て言うですか、麻生さんの一番痛い所を付いて来たんですね。こん畜生ちゅう訳でその、立ち上がったけれども、立ち上がった時に神様の方が見付かったち。それでもう、御神前に行って御祈念したち。
 本当にもう朝の御祈念の時に確かはっきりあの、剣道の防具を頂いておったそうです。御心眼に。突かれて来ても痛くない、叩かれても痛くない。所がばぁっと急所を突かれて来たもんですから、そのもうよろよろしとる。してから立ち上がって正した所が、その立ち上がったのを神様の方へも、向けて行ったちそして。ほんに今朝方、防具を付けとかなければならんと、仰ったが。
 本当に防具を付けて居なかった事です。家内からたったこの位の女から、この位の事を言われて、もう立ち上がって叩こうとしておる。自分がですねあさましいとこう思うて、神様にお詫びさして頂いたと。こう言う訳けなんです。 私しゃ勝ち抜くとは、そう云う事だと思うんです。 どんなにです、どんなにそんなら、財産なら財産を持った人はです。 先生、私しが居りますけん大丈夫ち、いくら言うてくれたってん、それで私しが安心行くものじゃなかっち。
 そういう信心を日々ですそれに勝、その事に勝ち抜かして頂いておる信者が、ここにあってこそ始めて、勝ち抜けれるんだ。私しゃどこにおってもいいんだと、この人達に後は任しておけば、お願いしておけば、と言う事になるんです。お互いの家庭生活に上においてで一つ、一つのそういう問題をです。もう一つそれは、今日はその御夢だったそうです。合楽の御造営があっておりますあそこん所が、りっぱに御造営がこう、成就し成っておると、そこに私しを中心にです、天理教の方達が沢山来ておる。
 日蓮宗の方達も沢山来ておる。そして何かが信心の、まあ共励会と言った様なものが、椛目の合楽の御広前であっておると言うお知らせであったと。これは私しがあの御造営の始まる頃に頂いておるのです。合楽を宗教の宗教センターにすると、神様は仰った。あらゆる宗教が集まるが、あらゆる宗教の、言わば、あ、共励だと。三代金光様が、全教一心、全教一家、と言っておって下さっておる。
 金光教の信心の者だけが、手を取りおうて、一家の者になっていかなければならんと言う様な、ちっぽけなもんじゃないと、私しは確信しておる。全教と言うのは、もうあらゆる宗教が。例えばここに一つの、もう教義なら教義を持っておる。教えを持っておる。例えば宗教人がです、それによって、銘々が助かっておる。天理教同志なら、天理教で助かっておる。日蓮宗の人なら、日蓮宗で助かっておる。
 あたしゃ、天理教と日蓮宗と、こう言う事を使われておるのはですね、まあ、宗教の言うならばまあ、極端から、極端なあ、宗教だと思うんですよね。ですから、例えばそういう、極端な中から極端の、例えば宗教であってもです、打つて、例えば、宗教人が一つになって一丸になって、銘々の宗祖、教祖の教えられた、打立てられた信心を、銘々が身に付けて、銘々が助かって、そして、その助かっとる者同志がです、宗教人同志がです。この世界の難儀にあたっていこう。
 世界真の平和を祈り抜いて以降と言う様な働きが、なされなければならないと言うのが、あたくしの願いなんです。ですから私しは、あすこへその全教一心、全教一家の塔灯を一つ、建ててくれて言っておる様な訳けなんですけれども。その様な、例えば大きな信心を目指して、私しは今後の信心を進めて行きたいと、こう思うとります。それになんぞやです。御道の者同志がガチャガチャ言って、いや御道の者同志じゃない。椛目の信心が本当のものだと言っておる、その椛目の者同志が足の取り合いをしておったり。
 もう我を張り合っておったり。その例えば信心を頂いておる、私しの信心を頂いておる家族の者が、そこの所を信心にあたくしの信心に、本当の意味で帰依が出来ないと言った様な事であったら、ただ、ぞろぞろついて来ておるだけであったらです、これほど心許ない事はない。銘々がその場に自分の持ち場立場においてです、そこの所を信心ではっきり頂いて行き、そこに神様を表わして行けれる人達そういう人達、そういう同志があってこそ始めてです、私しが一年間よしここを開けましてもです。
 例え御造営は、どう言う風な進展を見ましてもです。それを神ながらとして、それを必ず遣り抜かして頂く所のおかげを、頂けるんだと言う確信も持って、それに内輪もめをする様な、私しは信心その事に私しは、信心をです。焦点をその事に、勝ち抜き切らない今の人達が、集まっておっても、それは、烏合の集である。銘々の家庭において、職場において、信者同志の助かり合いの場においてです。本当に信心を元にして、その事の、その事に、私しは勝ち抜かして頂く、おかげ頂き抜かして頂けて始めて、本当の勝ち抜きがでけるのだと言うふうに思うのです。
 今の椛目に、私しは一番適切な事、それは勝てば官軍です。私し共がおかげを頂き抜けばです、椛目の信心はもう絶対本当なものに、成るでしょう。教師だけではありますまい。本部全体、金光教の全部がです、椛目の信心に成程と合点して下さる。そして又、椛目の信心を頂いて下さる様な、おかげになって参りましょうけれども、どんなに素晴らしい御理解が残っておりましても。ありましても、その内なる皆さんがです、それを表わし切らずに敗退する、負けてしまう様な事であっては。
 どんなそれが本当なものであっても、結局負ければ賊軍の汚名を着るより他にないので御座いますから、お互い一つ心してです、銘々の信心を確固たるものにして、本当に豊かな、大きな一切を抱擁出来る様な、相手が例えば、横向きになっとんなら、それを一応もう受け入れて、そしてそこを信心で遣り抜いて行けれる様な、私しは豊かさと言うものがです、又、素直と言うものがです、銘々の信心にいよいよ育って行かなければならんと言う風に思うですね。
   どうぞ、よろしくお願いいたします。